福祉作文大賞受賞作品

小学生の部 大賞

『にん知しょうサポーター』  御崎小学校5年 永谷 昂己

 ぼくは、おばあちゃんと、夏休みに、にん知しょうサポーター養成講座に参加しました。日本では、段々お年寄りが多くなってきていて、ぼくの町内も、一人暮らしのお年寄りが住んでいるので、自治会で、一人暮らしでもまわりの人が手助けして、みんなが住みよい町になるように、いつも話し合っていると、言っていました。

 それで、お年寄りになって、困ってしまう病気に、にん知しょうという、脳の病気があると、言っていました。その病気のせいで、一人で暮らしにくくなる人のために、みんなが、少しでも、そのにん知しょうという病気の事を、正しく知って、病気になって、困っている人を助けるには、どうしたら良いかという、勉強をしました。

 にん知しょうは、その病気になっている事を、自分がわからない事が多いようです。
健康しん断で、見つけられない病気だと、言っていました。ガンなどの病気は、食べられなかったり、やせたり、いたかったりするので、自分でも、よくわかるけれど、にん知しょうは、自分では、気がつかないので、ひどくなってから、お医者さまに行くので、治りょうがおそくなるそうです。

 にん知しょうになると、急にかなしくなったり、すごくおこりっぽくなったりして、まわりの人が、この人いやだ、つき合いにくい人だと思うので、困っているのに、まわりの人に気がついて助けてもらえない事が、一番困る事だと、言っていました。

 夜がねむれなくて、うろうろしたり、ご飯を食べたのに食べた事を忘れて、また食べたくなったり、ひどくなると、計算ができなくなったり、出かけたら家に帰れなくなるし、自分の名前や住所も、忘れてしまうそうです。

 だから、町のみんなで、にん知しょうになって困っている人がいたら、やさしくしてあげるために、どうしたらいいか、いろいろな人の体験の話を聞きました。

 ぼくにできそうな事は、外でお年寄りが、「キョロキョロ」して、何度も同じ道を通っていたら、家がわからなくなって、困っているかも知れないので、声をかけて、自分の家がわからない人だったら、交番に連れて行ってあげるか、けい察官を呼んできてあげたいと思います。

 急に、おこったり、かなしくなる人にも、ゆっくり話を全部聞いてあげる事を、できたらいいなと思います。

 にん知しょうという病気が、正しく理解されていなかったころは、病気になったら、家から出たら帰れなくなるから、絶対外に出てはいけないと、言われていたけど、今はちがいます。外に出て、気分を良くする事がとても大事だから、どんどん、にん知しょうの事がよく分かってきて、もっともっと良いお薬ができるといいなと、思います。

 それまで、みんながにん知しょうの病気の、正しい知識をもって困っている人を、助けてあげられたらいいなと、思います。

 ぼくも、町の人と同じように、ぼくにできるサポートをしたいです。そして、にん知しょうでも、不安にならずにくらせる町に、ならなくてはいけないと思います。

中学生の部 大賞

『命ある限り』  赤穂西中学校3年 浜本 実季

 「余命一ヶ月。今年の正月は越せそうにありません。」

 祖父が脳梗塞で倒れてから一年余り、病院や介護施設でずっと元気になるように頑張ってきましたが、先日の8月頭、病院の先生からこう告げられました。

 女の子の孫は私だけなので、祖父は小さい頃から特にかわいがってくれました。「スイカ食べるか?」「イチゴいっぱいできとうから取りにおいで」「運動会頑張ったか?」「おもちゃ買ってあげよう」いつも優しい笑顔で気にかけてくれました。そんな祖父が昨年、突然歩くことができなくなりました。何とかしてあげたいけれど、何もできない・・・。昨年、介護施設に入所していた時、その場所が家の近くだった為、学校の帰りに祖父の様子を見に行きました。「おじいちゃん!きたで!」と呼びかけても、私の事が分からないのか、返事もなく、表情も変えず、窓の外をずっと見ていました。「うれしくないのかな?私のこと、もう分からへんのかな?」とても寂しい気持ちになりました。お父さんは「それは違うで。脳の手術をしたから、調子がいい日とあまりよくない日があって、自分の意思に反して身体がいうことをきいてくれへんから、おじいちゃんも苦しいんやで」「そうやったんや・・・。おじいちゃんもつらいやろな・・・。」
そんな日が続きました。

 今年四月には施設を退所し、祖父の自宅に戻れることになり、祖父はとても嬉しそうでした。「笑顔が増えるかな?」「これから、良くなっていけるといいな!」そう思っていましたが、そう長くは続きませんでした。

 先日、容態が悪くなり、救急車で病院に運ばれました。あと一歩遅ければ間に合わなかったそうです。

 今はほとんど会話もできない状況ですが、最近、なんとか聞き取れる声を振り絞って、「死にたい」と言っているそうです。でも、この前、病院の先生から家族に対して、「延命治りょうされますか?」ときかれた時に、「おじいちゃんの意見も聞いてみよう」と祖父に聞くと、「自分では決められない」と言ったそうです。

 きっとおじいちゃんは、自分一人ではご飯を食べることも、着替えることも、おふろに入ることも、歩くこともできないことで、周囲へ迷惑がかかるのではないか、自分には生きたいと言える権利がないのではないかと、毎日看病してくれている家族に気をつかってそう言ったんだと思います。それを聞いて私は、本当は命ある限り精一杯生きたいんだと思いました。

 生きたくても生きられない人はたくさんいて、自ら命を絶つ人もまた、たくさんいます。そんな耳をふさぎたくなるようなニュースを聞く度に、とても悲しくなりますが、それが今、私の目の前で起きようとしています。

 人はいずれ誰でも年をとります。高齢化社会が進み、赤穂市でも六十五才以上の高齢化率が30%を超えているそうです。これからますますこの傾向は強くなると言われています。でも、長い年月を、苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくださったおかげで、今の幸せがあることを忘れずにいたいと思います。

 そして、この世に生まれてきたもの全てに、自分の意思で生きることを決めていける権利があると思います。

 自由に動けなくなった時に、人としてのほこりを持って、満足できる最期を迎えられるように考えていきたいです。

 生きることに「自分では決められない」と言ったおじいちゃんのように、自己決定権のない社会にならないように、高齢者には今までの感謝の気持ちで、本人の希望をできるだけ叶えられるように努力していきたいです。

 いずれ私達もむかえる高齢社会だから。

高校生以上の部 大賞

『わかりやすくて、わかりにくい』  一般 関口 千佳

 私の娘は「先天性眼皮膚白皮症(アルビノ)」です。見た目は、とてもきれいな色白の肌、金色の髪にグレーの瞳。

 生まれつき全身のメラニンがなく(薄く)、日焼けをすることができないので、帽子、サングラス(コンタクト)、長袖長ズボンやUVカットクリームなどの紫外線予防が必要です。瞳にもメラニン色素がないので、通常の生活をしていても、私達が夏の天気のいい日に、真上を向いて太陽を見るような眩しさが常で、室内でも眩しく、未熟児網膜症もあり、視野も狭いです。

 生まれた時から、そのような見え方なので普段の生活の中での大きな問題はありませんが、はじめての場所、広い場所では何がどこにあるか、どこに誰がいるのかわかりません。

 視力は弱いですが、装具等を利用して本を読む・見ることもでき、学習には問題ありません。ただ勘違いがあったり、時間がかかること、目もかなり疲れると思います。集団生活では、前の方に行く、一言声をかけてもらう等の協力があると助かります。

 弱視というのは、ぼんやりと見える、細かい部分はよく分からなかったり、境界がはっきりしない等、「見えにくい」世界というのは、全く見えないというわけではありません。近ければ、人がいること、花が咲いていること、物があることが認識でき、よく知っている人なら雰囲気や声で誰かわかるし、目を近づけて見たことがある物は、はっきり見えなくても〝きれいだな″〝嫌だな″等と感じ、五感に経験をプラスして暮らしています。

 娘はアルビノにプラス、私が不育症だったため636gという超低体重児で生まれました。それでも、私の治療中から同じく不育症等で悩む仲間、主治医、周りにとても恵まれ、心配こそしたものの、何事もなく、元気に、大きく育ってくれています。NICUの保育器の中にいるときは、元気にただ元気に成長してほしい。だけだったのが、皆と同じ様にできる。そう思ったら、辛い思いや努力の分も笑っていてほしい。たくさん笑ってほしい。と、親として願います。

 今は、赤穂市で初となる弱視学級をつくっていただき、通常学級と弱視学級を行き来し小学校生活を過ごしています。神戸の視覚支援学校にも教育相談を受けに通ったり、市の身体障害者福祉協会主催のサウンドテーブルテニスに家族で参加したりして、たくさんのサポートを受けています。

 それでも、様々なギャップや〝見えにくい″という理解しづらさ等から、先生や大人の目が届かないところ、一歩学校を出ると、集団下校の中、一人で目に涙いっぱいためて帰ってくるようなこともしばしば。

 少し普段と違う場所に行くと、「はぁ…またか。」と思う奇異の目にひそひそ話。横にいる私でさえ、心がちぎれそうです。一度、前を歩いていた数人の親子に、何度も振り返られ、あきらかなひそひそ話に、「じろじろ見るな‼」と私の小さな抵抗の声がもれました。もちろん相手方には聞こえません。けれど、娘に「お母さん、ありがとう。私な、ずっと嫌な気持ちやったんや。」と、言われました。見えにくくても、感じるのです。

 娘は天真爛漫で、誰とでも話をし、あいさつをします。それが娘の自慢な所です。周りが見えにくいためか、声が大きく、自分の意見を物怖じせずに話します。そこも良い所でもあるのだけれど、そんな娘だからこそ、支援を特別扱いと妬まれる、蔑まれる。恵まれているからこその、特別扱いの悩みもあります。

 普通で、ただ普通に。けれど困った時は少し助けてやってほしい。それを、伝えることも娘に自分を卑下せずに、それでも感謝の気持ちを忘れず生活することを教えるのも、とても難しく、私自身が、たくさん娘に支えられ周りに支えられ、生活している事を実感します。骨折して包帯を巻いている人、外国の方がいたら、ついつい見てしまう。私も、同じかもしれません。

 娘のおかげで、色んな事を思い気付かされます。強く生きてほしい。と弱い母が思います。自分1人じゃない。ということも、娘のおかげでよく感じます。

 たくさんの試練の中、いつも笑顔の娘に、勇気と元気をもらいます。

 一見めだってみえる娘の、弱視という分かりづらい障がいの手助けを周囲に受けることを当たり前と横柄には思っていませんが、上からではない配慮はとてもありがたく感じます。そのために、少しでも、一人でも多く娘のことを知ってほしい。と思います。

 天真爛漫でやさしい心の娘の笑顔が、ずっと続きますように。

 「お母さん、きれいな夕焼け‼」と、教えてくれる娘の心がそのままでありますように。